リスペクト・リライティングについて
2006年度の第一回大会では、インスパイヤと呼ばれる二次執筆物が話題になった。
これは、「作品として発表された実話怪談の骨子を借用し、それを下敷きに別の作者が再度別の文章で同じ怪談を語る」という、二次的執筆物を意味する。
その扱いについて、明確な定義やルールがなかったことが混乱の原因ともなっていたが、インスパイヤされた側の著者のほとんどが自作が第三者によってリライトされることについて好印象だったこと、大会終了後の著者向けのアンケートなどでも、賛成及び条件付き賛成に対して反対ゼロなど、概ね好印象であった。
そこで、2007年大会以降、インスパイヤについて明確な定義づけと扱いについてのルールを設けた上で、大会の一部に取り込まれた。
実話怪談は、聞いた話が人から人へと接触感染していくことで広まっていく読み物でもある。
体験者から聞き取って文字に起こすという実話怪談の作業は「聞く、書く」という聞き書き実話怪談を体現しているが、同様に本で読んだ、友人から聞いた、噂に寄れば……といった形で広まっていく際に、オリジナルとは違った表現でありながら、オリジナルの体験談の骨子を損なわない傑作が生まれることもある。ネタを独り占めするよりは、何度も視点や語り部を変えて語り直すことで、その怪異体験の要点をより露わにすることができるようになるかもしれない。
言うなれば、体験談は映画の脚本に相当する。最初の発掘者には、メガホンを取って最初に映像化した功績がある一方で、同じ脚本を別の監督が再度映像化するということも許されてよいのではないか。脚本に従って最初の発掘者が演じた怪談を、別の俳優が演じてもよいのではないか。
書かれた文章には著作権があるが、実話怪談に限って言えば文章以外の書かれた内容(出来事、オチなど)について著者が著作権を主張するのは難しい(グレー)のではないか、とも思われる。例えば、著者Aが体験者Bから聞いた話を、体験者Bが他の誰かCにもしていて、他の誰かCが著者Aとは別に文章に起こしていたら。著作権は文章に対して発生するが、体験者Bの体験そのものについて書いた誰かCと著者Aのどちらに体験者Bの語った内容に関する権利があるのか――。
自作品がインスパイヤされるということを、他人に推敲される屈辱と受け取るべきではない。
少なくとも、その作品には誰かに筆を執らせるよう働きかける力があった、ということだ。
それによって、体験者の意志・意図がより明確に、より多くの人に再転送される機会を得たなら、インスパイヤされることは体験者にとってプラスである。
それによって、自分とは違った視点が拓かれるのであれば、インスパイヤはオリジナルの応募者の、次回作にとってもプラスである。
故に、超-1ではインスパイヤはむしろ励行したい。
なお、インスパイヤはかつてのまねこ問題などで取りざたされた単語であり、ネガティブなイメージが強いため、超-1ではリライトと呼ぶこととする。
今回、リライトの対象(元ネタ)として借用できる作品は、原則として超-1/2009年大会に応募・公開されたものうち、応募者が「リライトを許可する」という意思表示を行った作品に限られる。
応募者の意思確認ができない2008年大会以前の作品、及び2009年大会の作品のうち応募者当人によるリライト許可が得られなかったものについては、作品のリライトは許可されない。
作品を応募するときに、応募者はあらかじめ「リライトされることを許可するかどうか」について決めておき、応募フォームからの作品送信の際に意思表示をしておく。
以前の大会で行われたリライトに関するアンケートでは、「条件付き賛成」「無条件賛成」が多数を占めたが、そのうち条件付き賛成では以下の点について多くの意見が出た。
応募者は、リライトに関する条件を考慮した上で、
……の、三つの選択肢から、作品応募時にリライトに関する意思表示を行う。
全面的に許可するは、「超」怖い話著者陣、応募者、一般講評者、講評を行わない第三者を含めたあらゆるリライト作者が、原作を下敷きに二次的な作品を執筆することを許可する、というもの。リライト著者の身分正体を問わず、オチや怪異を改変しない(それをしたら実話怪談ではなくなってしまう)限り、自由なリライトを許す。
「超」怖い話著者にのみ許可するは、加藤一及びそれ以前の歴代「超」怖い話編著者・共著者のいずれかに対してのみ許可する、というもの。リライト著者の身分正体が明らかな場合に限り、リライトを許す。
全面的に許可しないは、あらゆる条件に拘わらずリライトを許さない、というもの。
体験者から許しが出ない、自作について絶対の自信がある、文章表現も含めて一切の改変を認められない、または「全面許可」「「超」怖い話著者のみ許可」以外に、個別特殊な条件がある場合など、個々の理由に拘わらず、リライトをされることを一切希望しない場合、意思表示を明確にする。
リライトが許可されている作品については、作品エントリーページにリライト許可を示すが表示される。
このマークがある応募作品に限って、リライトを許可する。マークのないものは、リライト対象から外される。
リライト作品は、応募公開済みの既存作品の二次的執筆物として書かれる。このため、リライト作品そのものは、独立した作品として超-1に応募することはできない。このため、リライト作品がエントリーblogに掲載されることはない。
故に、応募者の誰かがリライト作品を書いたとしても、そのリライト作品が講評点数を得ることはなく、リライト作品を書いた応募者には点数上のメリットはない。
リライト作品は、執筆者自身のblog、webページまたは掲示板などで発表し、必ず原典としたオリジナル作品がエントリーされているページにトラックバックするか、エントリーページのコメント講評からリライト作品の所在地URLへのリンクを張る。
同時に、リライト作品のあるページにも、必ずオリジナル作品へのリンクを明示し、超-1出品作に対するリライト作品であることを明記する。
上の条件を満たしたものを、公認リライト作品として認定する。
公認リライト作品を各自のblogからトラックバック送信する場合、またはコメントからリライト作品へのリンクを張る場合は、blogのタイトルなどで【リライト】である旨を明記する。(集計の手間を軽減する為)
■ 【リライト】呪われた祟り その祟りは呪われていた。 |
↑この作例にあるように、必ずリライト作品は以下の条件を満たさなければならない。
リライトの宣言は、トラックバックかコメントのいずれか一方でよい。
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■トラックバックこの記事へのトラックバックURL(こちらが本物):http://www.chokowa.com/cho-1/2009/entry-blog/blog.cgi/20090201000000 » 【リライト】呪われた祟り [さぼり記] × |
■講評リライトしました。 【リライト】呪われた祟り 名前: AZ ¦ 07:05, Thursday, Feb 1, 2009 × |
リライトを受けた作品は、公認リライト作品1作につき、+5点のリライトボーナスを加算する。
リライトは原作及び原体験者への何らかのリスペクトがあって初めて行われるものでもあり、その意味で、講評/好評価のバリエーションと捉えることができる。
リライト作業は、執筆者に何らかの手間暇を強いるものでもあり、リライトを受けた原作には人を突き動かす力があったと見なしてよい。
そうした手間暇を惜しまない賞賛を+5点のリライトボーナスという点数に換算する。
コメント講評、トラックバック講評などで一度講評配点済みの人でも、リライト作品(による追加点)が可能。
一人のリライト作者が、何作リライト作品を書いてもよいが、一作品に対しては一作までとする。
また、応募者が他人及び自分自身の書いた作品に対して、リライト作品を書くこともOKとする。
もちろん、応募者名は会期終了まで明かされない。自作に対して自分で書いたリライト作品についても、リライトボーナスは加算される。
なお、リライトは原作の尊重があって初めて認められるものである。
このため、トラックバック、リンクなどがなく、オリジナルのエントリーページから存在を発見できないもの、リライト作品側からオリジナルのエントリーページへのリンクがないものについては、野良リライトとし+5点のリライトボーナスは加算されない。
リライトを書くに当たっての注意。
以前の大会ではリライトをしたくなる動機は、「ネタはいいのに文章が」というものが多数を占めていた。
その意味で、リライトは原体験者の体験、それを発掘し形にまとめた原著者などに対するリスペクトとして行われるべきものだと思う。
時に、著者(の文章力)に対する批判として行われるものもあるかもしれないが、発掘者としての著者、そして体験者への畏敬は、実話怪談を志すのならば忘れないでいただきたい。
リライト作品は、必ずオリジナル作品へのリンク・トラックバックを行い、リライト作品が「原作(一次的な怪談)に触発されて二次的に執筆・再演された作品である」ことを明記する。そのことが、原作・原著者・原体験者の尊重の証しとなる。
実話怪談は、体験者の実在があって初めて成立する。
体験そのものは体験者当人にしか証明できない。その体験者が実在することを証明できるのは、最初に取材した原作著者のみである。それらを下敷きに書かれるリライト作品は、体験者の実在とそれを保証する原作著者の実在によって初めて「実話怪談」であることを主張できる。この場合、リライト作品のベースとなる作品は、リライト作品の根拠となる一次ソースとなるわけで、明示は必ず行われなければならない。
原作/出典/原典の明示がないリライト作品は、該当原作に対する盗作と見なす。
以下、主催者の考えを述べたい。
小説などの著作権は著者が独創的に生み出したストーリー・設定などのアイデアにまで及ぶが、実話怪談では元となる実在の怪異体験そのものに独占的著作権があるとは捉えにくい。
例えば、地震などの大規模災害を巡って起きた駅舎崩落・高速道路瓦解などの事故事象を巡る体験談を取材したルポルタージュがあった場合、体験した証言者Aが「駅舎崩壊・高速道路瓦解」という事象そのものについて語ったとして、語られた話そのものに著作権があるとは考えない。それを誰かが文章に起こした時点で、その文章に対して著作権が発生する。
また、最初に証言者Aに取材した著者Bの記した文章には著者Bの著作権が発生するが、同じ証言者Aから取材して別の文章を起こした著者Cに対して、著者Bが自身の著作権(先行取材を理由とした独占的権利)を主張できるかと言うと、証言者Aと著者Bの間で約束がなく、証言者Aが著者Cにも執筆を許した場合、著者Bが著者Cの執筆を差し止めるのは難しいし、著者Cが書いた文章そのものには著者Bとは無関係に著者Cの著作権が発生する。
同じ取材ソースから書かれたものの中に、類似する表現が生まれる可能性も否定はできない。
遡って、「駅舎崩壊・高速道路瓦解」を体験したのが体験者A一人ではなく、体験者D、Eなど複数に及ぶ場合、そのうちの誰が「駅舎崩壊・高速道路瓦解という事象・出来事そのものの権利、意見を述べる独占的権利」を主張できるかと言えば、誰にもできない。
体験者による極めてパーソナルな怪異体験を、当人または直接・間接に取材した著者が、実際に文章に書き起こした時点で実話怪談になる。
以上から、前述の事例と照らし合わせても、実話怪談著者が著作権を主張できるのは「自身が書き起こした文章表現に対して」に限られ、体験談内容そのものに対する独占的権利を主張するのは難しいと結論している。
ただし現状では、実話怪談著者が主張できる著作権に対する考え方は著者により千差万別であり、統一見解はまだない。このため、多くの場合は著者ごとの哲学・方針に寄るグレーな判断に留まっている。故に、ここで述べた主催者の考え方が、広く一般的に普及定着していると断言するのは難しい。
主催者判断としては、執筆されたリライト作品については、それぞれのリライト作品著者にも原典とは別個の著作権が発生すると考えている。
もちろん、後から書かれたリライト作品が、そのベースとなった原作の著作権を否定するものではない。
同時に、ベースとなった原作がリライト作品の著作権を否定することもできない。
「実話怪談の著作権は書き下ろされた文章表現に対して発生する」という考え方に同意するならば、だ。
ただ、この場合も意識して「原典を踏まえたリライト作品」として書かれたものであるならば、原典の存在を明確に示すのがマナーである。それをせず、リライト作品・リライト作者が「ネタの発掘までも行った」と主張するのは、シュリーマンの功績を横取りするのにも等しい。
四谷怪談のオマージュとして作られた映画が、四谷怪談のアイデアについて鶴屋南北という原作者・出典を否定するような無礼を働いたら、どういった評価を受けるか、ということを準えれば、その理解は容易い。
リライトを許す著者側の条件も、各個人によって異なるかもしれない。
あくまで一次ソース(体験者当人)から再聴取しなければリライトすべきではない、という考え方の著者もいるだろう。
また、体験者から得た必要情報は自作に十分生かされており、自作を読むことで体験者の意図は十分伝わる、故に自作をベースとしたリライト作品を書き起こすことを歓迎するという考え方の著者もいるだろう。
さらには、体験者=応募者である場合、応募作はそのまま体験者が体験談を語るのと同じ意味を持つわけで、そこから「体験談に基づいた実話怪談」の再演に挑戦する機会と考える著者もいるかもしれない。
今回、作品応募の段階で、応募者に「自作が第三者にリライトされること」について同意するかどうかの意思確認を行っているが、それぞれの応募者の考えを鑑みて、個々の判断としてリライトの許可・不許可が下されるものと思われる。
応募者各位には、リライトされることに同意すること=自作をベースとして、別の著作物が書き下ろされることへの同意と受け止めていただきたい。
そして、リライト著者は原典への畏敬を忘れず、新作を起こすつもりでお願いしたい。
なお、リライト作者が名前を明かすかどうかは各自の自由だが、何らかの方法で連絡を取ることができるようにしておいていただきたい。これは、リライトされたほうの作品を傑作選その他の形の書籍に収録する際の手続きに必要になるため。
これらの連絡先(メールアドレスもしくはそれに準じるもの)がないもの、または連絡先メールアドレスなどが不通のものについては、超-1実行委員会にそれらに関連する権利の行使(書籍などへの収録許諾など)について、リライト作者から委託を受けたものと見なす。
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