恐怖箱へようこそ。 本シリーズでは、箱詰め職人を務めさせていただきます、加藤一です。
箱というのは不思議なもので、人は箱を目の前にするとき二つの感情を持つようです。 ひとつは「何か良さそうなものが詰まっているのでは」という期待。 もうひとつは「開けるべきではない、開けてはいけないものが詰まってるのでは」という警戒心。 箱に纏わる訓話、民話、神話の類を紐解くと、その双方の話はいくらもありますね。おとぎ話の宝物はつづらの箱に入っているものですが、同時に「何か恐ろしく、仇為すもの」もつづらの中に潜んでいます。これは洋の東西を問わないようで、財宝を入れた箱は、同時に呪われた死体が潜んでいるものだったり。 さらには、好奇心からうっかり開けてしまった箱の中には、夥しい数の厄災が封じ込められていたというものもあります。パンドラが慌てて箱の蓋を閉めると、箱の底には小さく震える希望だけが飛びださずに残っていた、と。 この希望は「箱の中に残ったいいもの」と思われがちですが、実はそうじゃないという解釈もあるんだそうです。希望もまた、封じ込められていた厄災のひとつだ、と。人は、なまじ希望なんてものがあるから、自分にとって何かいいものが、何かいいことがあるんじゃないかという、勝手な期待を抱いてしまう。そこに、とんでもない厄災が待っているかもしれないのに、いいことがあるんじゃないかと思いこんでしまう。
さて。 恐怖箱は、怖い話を詰めこんだ箱、を模しています。 いろいろな所から怖い話、怖い話を書く人、というのを見つけ出してきては、箱の中に封じ込めるのが僕の仕事です。できれば、そんな怖い話は封じ込めてしまい込んでおきたい、というのが本音なんです。 でも、怖い話が好きだ、怖い話を読みたい、酷い目に遭いたい、そんな人も世の中には大層たくさんいらっしゃるようです。怪談ジャンキー、と他称自称される、そう皆様のような。 怖いものが鮨詰めの箱があるなんて聞いたら、「その箱の中を見せろ!」と、ジャンキーさんが殺到してきそうです。
一言で「恐怖」と言っても、昨今ではいろいろな形の恐怖があります。 真贋定かならぬ噂話・都市伝説の類が気になるという人もいます。 体験者当人から写し取られた心霊譚や実話怪談がたまらんという人もいます。 いやいや、そんなものより生きている人間のすることが一番怖いんだよという人もいます。 おまえは何を言ってるんだ、筆力の粋を極めて書かれたホラー小説が最高なんだよという人もいます。 饅頭と熱いお茶が怖いという人もいるくらいですから、恐怖というのはたったひとつの基準・指針で語ったり、安易に「極めつけ」を宣言してみても、皆が皆「その通り」とは言ってくれないものであるようです。
幸い、恐怖箱には幾つかの重があります。 事実に基づく実話怪談が怖い。なるほど、それなら実話怪談を差し上げましょう。 作家の脳髄を絞って書かれた恐怖小説こそが怖い。なるほど、それならとびきりの恐怖小説をご用意しましょう。 幸い、恐怖箱のキャパは今のところ底なしです。 それがあなたの恐怖心を心ゆくまで満たすものなのか。恐怖への飢え、渇きを癒やすものなのか。 どこまでも続く終わらない恐怖を。 思考が麻痺するほどの恐怖を。 現実と妄想の区別が付かなくなるほどの恐怖を。
気は進みませんが、あなたがどうしてもと言うのなら。 恐怖箱の中から、あなたが望むだけの恐怖をご用立てします。 それが箱詰め職人の仕事ですから。
――恐怖箱に、ようこそ。
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