遺伝記の読み方ガイド
どこから読んだらおもしろいか?
遺伝記は、「植物・樹木・木材加工品と縁があること」「他の話とどこかで繋がってること」これが約束となっています。
応募者はヘンテコなルールに面食らっているかもしれません。
が、「予備知識やお約束の網羅をせずともどこからでも読み始められて、どこに向かってでも読み継げていける」というのは、書く側の苦労とは無関係に、読む側としては結構楽しいんです。
そもそも、遺伝記は読者として気軽におもしろがりたい、てな気楽な所からスタートした試みでもあります。
まずはやってみよう、という。
では、どこからどう読んでいったらおもしろいのか。
遺伝記の外縁について考えていきましょう。
●リレーでなく環でもなく、網の目状の物語群 ――連作、リレー、そのどれでもないもの
一人の作者が同じ設定を使って短編を書き連ねるのは――連作。
複数の作者が、同じ設定を使って短編を書き繋ぐのは――リレー小説。
どちらも珍しいものではなく、過去幾多の傑作連作やリレー小説がありました。
ただ、連作やリレー小説というのは、一人の作者が書く大河小説と同じで、どうしても外せないルールがあります。
それは、「書かれた順に読まなければならない」ということ。それと、それまでの設定の全てを把握していかなければならない、ということです。
長く続いて、後半につれて面白くなってくるリレー小説や連作があったとしましょう。でも、話の面白さをちゃんと理解把握するには、まずはそのスタート地点に必ず立たなければなりません。決められた通り、最初から順番に読んでいかなければならないのは、結構億劫なんですよね。
遺伝記は、ある種のテーマと設定の隣接性を持つ小説群ですが、単独の著者が書くわけではないので連作ではありません。
そして、読者は順番に読まなくてもかまわないので、リレー小説ではありません。
読者に対して、読む順番を指定しないので、どこから読んでもいいということです。
同一の世界観の上で、複数の作家が小説を発表するのは――シェアードワールドノベル(Shared world
novel、またはShared Universe)。
同様の試みはオンラインゲームなどの発達により、昨今ではずいぶんと種類が増えましたが、ホラー関連についてわかりやすく有名なところで言えば、クトゥルフ神話体系がこれに当たります。最近のスタートレックもこれに入るとのことですが、それであればペリー・ローダン・シリーズやガンダムも広義のシェアードワールドに入るかもしれません。
設定や登場人物を共有し、複数の作家によって書き継がれるという意味では、単純な連作やリレー小説に比べて、遺伝記にぐっと近くなります。
が、シェアードワールドノベルには、ひとつ大きな問題点がありまして。
執筆者の人数が増えてくると、散在する多くの設定がどんどん増えて、誰にも把握しきれなくなってくるんですね。
ところが、シェアードワールドノベルでは、追加された設定は全てどんどん蓄積されていくわけです。つまり言うなれば、把握しないといけないお約束が凄い勢いで増えていくということです。
これは、書くほうも大変で、隅々まで読み尽くし知り尽くし熟知していないと、最初の一歩を踏み出すこともままなりません。これは読むほうも同様で、作者が「このシリーズの読者なら知っていて当然」というようなことを、特に説明もなく扱っていると、もうそれだけで付いていけなくなります。
ミスカトニック大学も魚面の無口な人々も、知っている人間はそのキーワードが出てくるだけでニヤリと笑えますし、テケリ・リという音が聞こえてくるだけでハハーンとくるわけですが、知らない人にはまったく通じません。
つまり、シェアードワールドノベルは、成熟すればするほど、後発の人間には入りにくくなってしまう、ということ。
最初から順番に読まなくてもいいという意味では連作やリレー小説より自由度は高いのですが、多くのお約束に縛られ、先発の全てを網羅することを強いられるという意味では、読者の負担は大きくなりがちなのは替わりませんし、読む順番が指定されていないため、隅々まで網羅しなければならない負担は、連作やリレー小説に比べて却って増大してしまいます。
遺伝記も多くの設定が継承され隣接しているという意味では、シェアードワールドノベルの要素をある程度持っていると言って過言ではありません。
が、この「その他のお約束を全部知ってないと読めない」というのを、どうにか解決し、「それ1本だけで話が成立していて、他の話を前提にしていない」という条件を足し、同時に「何らかの設定上の繋がりを隣接した作品との間に持たねばならない」とし、ただしそれを「最大3話」に制限しました。
それ以上先まで遡る必要はないし、知らなくても読めるものであれば読者の負担は大幅に軽減されます。
元々、遺伝記の概念は90年代前半のネットゲーム(まだパソコン通信だった頃の)や、当時のメールゲームを下敷きにしている部分もあるのですが、完全にぴたりとはまる既存作品は今のところありません。
強いて挙げるとしたら、登場人物がリンクしている「弩」怖い話
螺旋怪談(竹書房文庫,2004)、同じく登場人物が輪環構造を成しているとってもこわい携帯メール(角川ティーンズルビー文庫,2000)あたり。実は「とってもこわい携帯メール」が、このアイデアの苗床のひとつだったとも言えます。
実は、遺伝記を始めるに当たって、設定の一部を隣接させて接点を持たせる話を、実際に複数の著者が試してみたものというのがあります。遺伝記/2008もまた、この遺伝記システム検証のためのプロトタイプですが、遺伝記の方法論をこれより先行して実際に試した簡易型実証モデルが、怪異伝説ダレカラキイタ?シリーズのタタリの学校/ノロイの怪魔/ウラミの車輪(あかね書房,2008)の三つ。全編が何らかの接点を持って、他の話と全て繋がるように構成されています。そして、どこからでも読むことができ、他の全ての話を網羅していなくても、ひとつひとつが成立するようになっています。
実際の話、自分の書いた話が、他の著者に増幅され、目を離した隙にいろいろ付け足されてどんどん広がっていく。これは、書いている側も結構面白いんですが、読む側としても探す楽しみ、辿る楽しみがあって面白いんですよ。
これはいける。というより、こんな面白いこと、皆で楽しまなきゃもったいないわ。というのが、遺伝記システムの出発点でもあるわけなのです。
これを恐怖箱の一方の主力企画である超-1で培った超-1システムという著作・著者選抜方式と組み合わせ、同時に超-1が定義する実話怪談にとってのアンチテーゼたる恐怖小説を、恐怖箱にとっての車輪の両輪としてしまおう、ということです。
欲張りです。
遺伝記は、先行して公開されている作品を読んで、そこから書き始める=設定遺伝子の継承と拡大を始めていくことになるわけですが、公開直後はまだ一作も応募されていないわけですから、手本または最初に接続する対象となる作品がないことになります。
……これは困りました。
そこで、種を蒔くことにしました。これはspeciesではなく、seedのほう。
7/15の公開以前に、幾つかサンプルとなる作品を投下することにします。
何人かに「書く?」と声を掛けていまして、意外な人がこっそり種を書き落とすことがあるかもしれません。
ちなみに、応募が極端に少なかったら、または集まったものが十分な水準に達しなかったら、責任とって主催者が全部書き下ろしをする、という説も(笑) 何しろ傑作選の発売は確定しちゃってますので、これはもう応募者の皆さんとの椅子取りゲームみたいなものですね。よし、僕と勝負だ!(大人げない)
種は、最初の応募作が届くまでの繋ぎみたいなものですが、本番が始まってからも幾つか書き落とされる可能性があります。やっていけないことというのはほとんどありませんので、これを読むことで「これもやってok」みたいなものを、応募者が考えるヒントになるかもしれません。
種は7/15以前に公開されますが、7/15以前の時点ではコメント講評/トラックバック講評はどちらもできないように閉鎖された形で公開されます。
ただし、7/15を過ぎてからは全て開放され、通常の応募作と同様にコメント講評/トラックバック講評の対象となります。また7/15以降に投下される種は、原則として通常の応募作と同様に扱われます。
どこからでも読めるとは言っても、新作発表を今か今かと待ち受けている人は、自然と「発表された順に読む」ということになるかと思います。
原則として、応募作は届いた順にどんどん公開されていきます。
毎日何本と決まっているわけではありませんが、公開直前の時点で届いている待機作品全体の半分をその日に公開して、残りは翌日に持ち越す、というような公開ペースになると思います。
ただ、一日に公開される作品数が例えば二桁になってしまうと、読む方も大変です。ですから、そこは様子を見ながらになるわけですが、それでも早ければ応募→即日公開。待機作品がたくさんあっても、最悪2日以内に公開です。
新作はエントリーblogで公開されますが、その時点で新しいものから順にエントリーblogのトップから辿ることができます。これが一番素直な読み方ということになりますね。
当たり前なんですが、遺伝記は「どこからでも読める」「それひとつで完結したものとして読める」が大原則。
ですから、好きなところから読んでいってかまいません。
エントリーblogの左側にカレンダーと過去ログがありますが、過去に公開され、トップページから流れてしまったものについても、カレンダーや過去ログから辿って読むことができます。
遡りながら読む、偶数日ごとに読む、とにかくランダムに読む、他の審査員がコメントを付けているものを選んで読む、などなどお好きなようにどうぞ。
(4)Frieve Editorで遺伝地図/樹系図をなぞりながら読んでいく
WindowsXP用のフリーウェアで、「Frieve Editor(http://www.frieve.com/feditor/)」という素晴らしいものがありますますので、ここで紹介させていただきたいと思います。
ぶっちゃけて言うと、カードを関係線(リンク)で結んで整理する、カード&ラベルエディターで、アイデアを考えたり着想を広げたり、といった発想支援用途のためのソフトウェアです。
残念ながらMac版や携帯版はありませんがエミュレータなどで動くケースもあるようです。遺伝記では因果関係や設定の隣接/遺伝を扱うことになるため、その発想支援用には持ってこいのツールです。同様の発想支援ソフトウェア、アウトラインエディターの類は色々あるんですが、遺伝記では公開されていく新作同士の樹形図を、試験的にこのFrieve
Editorのカードデータで提供してみようと思います。
ソフトウェアのインストール方法や使用方法についての詳細はリンク先を見ていただくとしまして。
どの話とどの話が繋がっていて、次にどの話を読むのか? どの話とどの話が群れているのか、どの話がハブなのか。さらには、どの話が幾つの子孫を持っているかをグラフ表示するなどなど。そうした情報を、一気に視覚化できるツールです。機種に関係なくブラウザ上で処理できるものが見つかるまで、とことん活用すると楽しみが増します。
この樹系図では、矢印の向きで作品のどちらが遺伝上の親(上流/先祖/先に公開された話)なのかを示しています。
矢印↑を向けられている側が上流(遺伝元/先祖)。
向けた側が下流(遺伝上の子孫)ということになります。
作品応募の時点で、必ずひとつ以上の作品いずれかの設定・内容・概念などを受け継がなければなりませんので、遺伝記に応募された全ての応募作は、全て何らかの姻戚関係にある、ということになります。
Frieve
Editorを、それらがどういった続柄なのかを見るためのガイドツールとして利用しています。
これは読む側にとっても重要ですが、書く側にとっても重要なツールになります。
なお、Frieve
EditorはWindowsXP対応となっています。Windows2000/Me/SE/3.1などではうまく動作しない可能性があります。Windows
Vistaでの動作は未確認です。
50音順の一覧ではないんですが、Frieve Editorが使えない環境向けに、その作品の遺伝子を受け継いでいる作品にリンクを張り巡らせた簡易相関一覧を用意します。
そこに繋がっている話はどれか、その話を公開中のURLはどこかなどをWeb上で示すものです。
さてさて、応募者ではない普通の読者、読むオンリーの皆様にも、一般審査員をお手伝いいただこうと思っています。
「俺はこの話が好きだ!」「この話ははっきり言ってダメだ!」
というようなことを、無責任に好きなように断じていただいて結構です。
作品本文以外に著者の解説がないと分からないような話じゃダメですし、文章がよくてもアイデアがイマイチじゃダメ、もちろんその逆だってダメ、自分の求める至高の出来以外は許さないっていう超ハードル高めの審査基準でもokですし、少しでも気に入ったところがあるってだけで褒めちぎったって構いません。
一票が重い、慎重な配点を――そんなこと、考える必要はありません。
無責任は読者の特権です。というより、後でお金を頂いて売る商業的出版物に載せるつもりのものを選ぼうっていうんですから、自分の好きなものを推すのが一番。
鼻持ちならない寿司屋の親父は「最初はヒカリモノからだ! いきなりトロなんか頼むんじゃねえ! いいか、そもそも江戸前寿司っていうもんは」と、順番や正しい作法、伝統の重みを口うるさく言ってきます。それはそれで正しいんだろうけど、客としては食事が楽しくありません。
良い寿司屋の親父は、「なんでも好きなネタを頼みなよ。決まりとかそんなこと気にしなくていいんだよ。寿司食うときくらい、好きなように食えばいいよ。ああ、お代のこともそんなに心配すんな」とニコニコしながら言ってくれます。
遺伝記でも同じように言いたいと思います。
「好きな話を好きって言えばいいよ。誰が書いたとか、ゲージツ性とか、そんな細かいこと気にしなくてもいいよ。まあ、気にしたっていいけどね!」
一般審査員の講評も、傑作選収載を巡る椅子取りゲームに大きな影響を与えることにはなるんですけど、責任感を感じてたら楽しめません。ここはリラックスして、好きなものを直感で選んで直感で配点していく、ってくらいでもいいと思いますよ。
そうは言っても、見るべき所は見て、応募者同士がそうするようにきっちりと審査を下したい。そう考えてくださる方もいることでしょう。ありがたいことです。
では、最初にどこを見るか?
着眼点はいろいろあるでしょうけれども、まずはお話を一読してみて、発想やアイデア、設定の生かし方などの、話のギミックに相当する部分を見てみましょう。すぐにオチが見抜けるようなアイデアでしたか? どこかで聞いたことがあるような発想? ちょっと思いつかなかった設定?
とりあえず最初は、そういった発想・アイデアを見てみるとよいでしょう。
感心したら+1点。がっかりしたら−1点、という具合に。
遺伝記に応募された作品同士は、いずれかと必ず繋がっていなければならないのですが、どこがどう繋がっているのかというのも見所のひとつ。
作品毎の繋がり、遺伝関係そのものは後述の遺伝地図/樹系図で簡単に辿ることが出来ますが、それぞれの作品同士が、どんな設定・キーワード・概念をブリッジにして繋がっているのか。それはすぐにわかるようなわかりやすいものか。それともよほど慎重に読み込まないと気付かないようなものか。強引すぎるものか。わかりにくいものか。
すぐにわかるわかりやすさを+1点、わかりにくければ−1点としても良いでしょうし、「裏をかかれた! これはやられた!」と唸らされたら+1点、「すぐに気付いた、意外性がない」とがっかりしたなら−1点でもかまいません。ただし、なぜその点数なのかをはっきり書かないと、ただの言いがかりに見えてしまいます。これは他の要素でも同様ですね。
次に文章力を見ていきましょう。
文章力と一言で言ってしまうのは乱暴ですので、ここでは描写力とボキャブラリ(語彙)に絞ってみるといいでしょう。
プロが文章を書いていてもそうなんですが、好きな言葉・気に入った言い回しというのは、ついつい多用してしまうものなんです。お気に入りのプロ作家でも、語尾にいつも同じような言葉が付いてしまう人や、やたらに同じ形容詞を濫用する人もいたりします。ひとつのお話の中で、あんまり同じような言い回しばかりが出てくるのは今ひとつ。
また、型どおりの形容詞に頼りすぎるのも低評価です。いつもいつも「驚くべき」「恐るべき」「奇妙な」とばっかりやられては、やはり面白くありません。
描写力というのは、ただダラダラと書けばいいというものでもなく、また、韻を踏んだうっとりした文章ばかりがいいというわけでもありません。重要なのは書かれた内容がきちんと読者の脳内に像を結ぶかどうか、という点。
プロが文章を書いていてもそうなんですが、言葉選びとネチネチした文章に気を取られて、結局何を言いたいのかさっぱりわからない文章になってしまっているようなら、容赦なくマイナス点を付けちゃいましょう。
……この項の文章で言えば、「プロが文章を書いていてもそうなんですが」という言い回しが二度も。
こういうのは、わざと韻を踏んでいるのか、それとも語彙が少ないだけなのか判断が難しいところですが、くどいなと思ったらマイナス。上手いなと思ったらプラスです。
どっちが正解というのでもなく、そのへんは好みの問題になるんじゃないでしょうか。
だから、ここでも「読者なんだから無責任に!」というのが、最上のアドバイスになる気がします。
発想・アイデアを見て、ボキャブラリ・描写力を見て、それから次はどこを見るか?
今度は構成力を見てみましょう。1行で済む話に10行も割いていないか? オチを書くのが早すぎないか? 早い段階でネタバレしちゃってないか? 何にどのくらい割き、どこで話を落とすかなどなど、そういった全体の構成を見てみるといいかもです。一生懸命読んだら話に無関係な描写だった、なんてことも珍しくありません。
このほかに、年代考証・時代考証の正確さにこだわる人もいるかもしれませんし、その作品特有のオリジナリティ・個性があるかどうかを注視する人もいそうです。
なんでもいいから、自分にとって譲れない審査項目を4つほど決めて、それらひとつひとつについて「これは+1、これは−1、これはどっちでもないから0」と言った形で配点を決めていくのがよいでしょう。こだわるところは人によって違うわけですが、徹頭徹尾自分の中ではこだわりポイントは決まっているということであれば、それさえきちんと守って後は好きなように。自由に。
ちなみに、「文頭一字下げをする/しない」や「セリフとト書きの間に行間アキ」など、Web上の表記慣習や見やすくするための工夫については、「文法・文章作法上の不備」とは考えていません。
遺伝記は最終的には傑作選に載せる話を選ぶ大会ということになるんですが、その前段階ではWeb上で読むことが前提です。
つまり、パソコンのブラウザで見て見やすいかどうか。Internet Explorerで見ても、FireFoxで見ても、safariで見ても、Operaで見ても、見栄えに大きな違いがないかどうか。
携帯電話で読む人も結構います。携帯電話で読むとき、見にくくないか。
もちろん、誤字や誤文法を重要なマイナス要素と考える人もいるかもしれません。うっかりミスを許さない厳格な審査員もいていいでしょうし、あんまり重視しないという人もいていいでしょう。
ちなみに、遺伝記の主催者は、草稿の時点での細かい誤字や誤文法は、あんまり気にしないほうです。遺伝記に公開される時点ではまだ半ば草稿みたいなもの。そういう細かいところは本になることが決まった段階で編集者が直せばいいのであって、作家が時間を割くべきはそこじゃないだろう、と思うから。
これは、編集者が直すわけにはいかない、設定・アイデア、描写力、構成力のほうが重要だと考えているからなんですが、これも一般審査員に限っては、自分のこだわりポイントを貫いてもらえれば結構です。
何より重要なのは、あなたにとって怖いかどうかということです。
怖さの嗜好というのは人それぞれ。他の人が怖いと思っても自分にはピンと来ないこともあれば、自分はガクブルものなのに他の人はキョトンとしてる、なんてことも珍しくありません。
他の人が怖がってないから、自分は怖いけど仕方なく……なんてことはしなくてよろしいかと思います。
もちろん、自分は怖くないけど、他の人は怖がってるから……なんてことも気にしなくてよいでしょう。
確かに、自分一人だけ人と違う感想/講評を書くというのは勇気がいるかもしれませんけど、怖くない、気に入らない、満足できないって気持ちに蓋をして、翼賛的な評論家面をすることなんてありません。
一般審査員の皆様に特にぶちまけていただきたいのは、「世間の他の人がどう思っていそうか、という客観的な意見の代弁」ではなくて「読者個人としての主観的な意見」です。
「常識とか前例とか、過去の名作とか、他の奴のことなんか知らない! 自分はこう思うんだ!」
そんな感じでワガママ言っちゃってください。
怖くなかったら容赦なくマイナス点、気に入ったら、震え上がったらプラス点を入れてください。
(7)その作品を描いたのが誰なのかについては考えないほうがいい
最後に、いちばん重要なことを。
遺伝記は、応募者(作者)名を伏せて、作品名と作品本文、遺伝元へのリンクだけが公開される決まりです。
ということは、今読んでいる話と、昨日読んだ話が、同じ人かもしれないし、全然関係ないアカの他人かもしれなくても、読者にはわからないということです。その予想が当たってるかどうかわかるのは、応募者本人だけです。
そこで、言い回しや使った設定が似ているからといって、作品Aと作品Bの作者を同一人物だと決めてかかって、「作品Aで指摘した問題が、作品Bでも改善されていない! よって作品Bの点数をA同様に下げる!」というようなやり方をしてしまう人が出る可能性があります。(同じく匿名講評制を採っている超-1では稀にそういう人がいました)
が、誰が書いた話なのかというのは、個々の作品を講評する上ではあまり重要なことではないんです。
むしろ、著者名がわかっていることが弊害になることもあります。「前回おもしろい話を書いたから、今回もおもしろいに違いない」という思い込みがあったり、「前回の話が気に入らなかったから、こいつが書いた話は全面的に認めない!」という頑なな人が出るかもしれません。
そうではなくて、誰が書いたかではなく、どう書かれているかのほうがずっと重要です。内容が同じなのに、書いた人が違うだけで評価が変わるというようなことがあるとしたら、それは作品ではなくて書いた人の名前や肩書きにひれ伏しているだけ、ということになります。
それでは目が曇ります。
名前を名乗りたくて仕方がない応募者の皆様には悪いんですが、遺伝記では一般審査員の目が曇らないようにするために「結果発表まで作者の名前を出さない」というルールを採っています。
誰が書いたかということばかりを詮索するよりは、どう書かれているかという純粋な作品講評を、一作一作について毎回リセットして考えていただくほうがよいと思います。
こういうのは、思い込みとの戦いですしね。
後で全部終わってから蓋を開けてみて、「あの人はこれも書いていたのか!」「やはりそうだったか!」「まさかそうくるとは!」「恐ろしく作風バラバラ!」と、驚いたり感心したり納得したり愕然としたりがっかりしたり……そういう楽しみのためにも、誰が書いたかはあまり深く考えないほうが楽しめると思いますよ。