初めまして。または、「超」怖い話をご愛読いただきありがとうございます。
超-1は、2006年に「超」怖い話の共著者を捜す大会として始められたものです。
2009年は2008年大会で整備されたルールに概ね準拠する形となっています。
これまで「超」怖い話を始めとする実話怪談は、超人的な蒐集能力というごく稀少な才能を持つ、少数の著者によって綴られてきました。しかし、一人の著者の収集能力には自ずと限界があり、また、大変な労力と時間を必要とする体験談蒐集を、同じ著者が長期間にわたって続けていくことは、著者の疲弊をもたらしました。恐怖感の麻痺、または様々な個人的事情は、実話怪談の継続的蒐集を困難に追い込みます。
しかし、「超」怖い話がこれからもずっと続いていくようにするためにはどうしたら? 「超」怖い話のみならず、もっと多くの実話怪談を発掘し、同時にそうした発掘力のある著者そのものを発見していくには、どうしたらいいのか? ――それが大会催行の理念です。
超-1から、「超」怖い話から、そして恐怖箱から、第二第三の“超人的著者”が輩出されるようになれば、実話怪談という異端のフィールドから世に出た、多くの先達の援護射撃にもなるかもしれません。そうした才能を見つけだし天高く打ち上げる射場としてこの大会や恐怖箱が機能するようにしていくことも、超-1の目指すべき方向かもしれません。
が、超-1はそうした実話怪談著者志望者の未来を作るための祭典である一方で、ただひたすら実話怪談を読みたいと、待ち続けてくださっている読者の皆様のための祭典でもあると思っています。
超-1開催を通じて、「超」怖い話、恐怖箱などを通じて、著者チーム見つけだすもの以外にも、世の中には信じがたいこと、拒絶されてしまう体験がまだまだ多く埋もれているのだな、ということを確信しました。
恐ろしい話を知っている方が、発表する機会として。
恐ろしい話を読みたい、と飢えている読者が読み漁る機会として。
伝えがたい体験を、信じがたいと拒絶する読者にも伝わるように書き記す練習の機会として。
信じがたい体験談の狭間にある恐怖を、読み解いていく読解力を鍛える機会として。
実話怪談は、体験者、著者、読者のトリニティによって成立するもの。
体験談を語る人を信じなければ始まりません。文章力自慢だけでは成り立ちません。読者が読み解くことで初めて実話怪談は完成するのだと信じています。体験談を発掘し、著述して「さあどうだ」と開陳しただけでは、それはまだ実話怪談ではありません。超-1に寄せられた多くの作品が、実話怪談に成るためには、読者の力が何より欠かせません。
読んでいただきたいのです。
驚き、震え、溜息を漏らしていただきたいのです。
その感想を、伝えていただきたいのです。
超-1は、読者の皆様が読むことによって、そして一票を投じることによって初めて動き出すのです。
著者がどこの誰であるかは気に留める必要はありません。
寄せられた話は、すべて事実であるという体験者と著者の言を信じています。
そこにある実話怪談について読者としてどう受け止めるかについて、声をあげていただければと思います。
それが、良き著者を育み、秀作怪談を産み、傑作選を紡いでいくことに繋がっていきます。
「超」怖い話はお金がありません。力もありません。影響力だって皆が思っているほど大した物かどうかもわかりません。その胎内から生まれた恐怖箱も似たようなものです。
ないない尽くしの我々に、ひとつだけ誇れるものがあります。
それは、読者の皆様によってその命脈を保たれてきたという自負です。
シリーズとして二度の臨死・休刊を経験した「超」怖い話は、黄泉から現世へ二度呼び戻されました。
我々の死を許さなかった呼び声は、読者の皆様によるものでした。
超-1も同様です。
過去の大会を通じて得た夥しい作品に基づく傑作選・超-1
怪コレクションシリーズを実現できたのは、読者の皆様による後押しの結果でした。
怪コレクションシリーズの実績をベースに、超-1出身実話怪談著者のための独自レーベルとして確立したのが恐怖箱です。一重に、怪談ジャンキーの皆様が自らの力で獲得した成果です。
主役は、怪談であり、体験者であり、著者であり、そして何より読者の皆様なのです。
良き読者であり、同時に最凶に餓えた怪談ジャンキーの皆様。
今大会もまた怪談ジャンキーの臓腑を満たす超-1でありたいと、超-1実行委員会一同は切に願っています。
実話怪談の明日を作る超-1に、是非その主役の一員たる読者の皆様にもご参加いただければ、これに勝る喜びはありません。
ともに、超-1を楽しもうではありませんか。
超-1実行委員会 加藤 一
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